【野球】天国からも…。大沢啓二“親分”、逝去【訃報】

「喝!」「あっぱれ!」を聞かせて下さい。

大沢親分@プレミアムモルツドリームマッチ

野球を愛し、いつも見守っていた大沢啓二さんが亡くなりました。
今年のプレミアムモルツドリームマッチでも元気な姿を見せてくれたのですが(やせた印象はありました…)。

もうあの声が聴けないのが残念です。
ご冥福をお祈り致します。

大沢親分が急死、硬式球を握りしめ天国へ
 プロ野球の日本ハムなどで監督を務めた大沢啓二(おおさわ・けいじ、本名昭=あきら)氏が7日午前7時25分、胆のうがんのため都内の病院で死去した。78歳。1981年、日本ハムを球団初のリーグ優勝に導き「親分」と親しまれた熱血漢。自身が出演していた日曜朝のテレビ番組での流行語の通り「あっぱれ」な野球人生だった。

<追記>
帰宅して改めてまとめようと思っていたのですが、遅くなってしまいました。
(2016.1.14注:当時埋め込まれた動画が削除されていたので、再度更新しました)

先週日曜日のサンデーモーニング。大沢親分が体調不良で欠席したのですが、親分からメッセージが読まれました。

スポーツ「御意見番」のコーナーを楽しみにしていただいております皆様へ、今週は体調が優れず、皆様から喝を入れられても仕方がありませんが、私が前々から言っていた投手力で中日とソフトバンクが有利といっていたとおりになったことにはあっぱれをいただきたい。今後はなんとか気合を入れて体調を万全にしたいと思っております。

これが結果的に親分からの最後のメッセージになってしまったのを思うと切ないです…。

昨年の御意見番から。退場記録が…。
(動画は削除されてます)

1995年、モルツ球団誕生。
これがきっかけでモルツドリームマッチが毎年行われるようになったんですよね。

そして、大沢親分といえば、ファイターズ。
ファイターズを語る親分の姿にはいつも深い愛情が込められていました。

監督として指揮を執り、ファイターズに初めての優勝へと導いた1981年。
日本シリーズ、別名、“後楽園シリーズ”でのジャイアンツとの対戦の映像もありました。
今頃は藤田監督とも天国で再会して、あの頃を振り返っているでしょうか…。

改めて、大沢啓二さんのご冥福をお祈り致します。

できるヤツの和忍断―大沢親分のビジネス渡世哲学 球道無頼 こんな野球をやってきた

この記事を書いた人

Minako 'NEPPIE' Seki

都内の制作会社でHTMLコーダーとして活動中。ドラゴンズ&ファイターズと佐野元春さんとエアロビクスと日本酒とビールが好きです。詳しいプロフィールはこちら

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