2021年3月11日。東日本大震災から10年。でも決して「一区切り」ではないことを忘れないようにしたい【思い】

2021年3月11日。

10年前のこの日、東日本大震災が起きました。

この日起こったことは、今でも忘れられないです。その時のことを思い出しつつ、思いを書いてみようと思います。

2011年3月11日からの備志録

たまたま当時勤務していた会社で有給休暇を取っていて、実家からアパートがある秋津に戻ろうとした武蔵野線の車内で地震に遭いました。

正直、ものすごい急ブレーキで止まったという感覚しかなく、地震の揺れが感じられませんでした。でも、その後電車は1時間半以上止まり、車内の蛍光灯も切れて、昼間なのに車内は暗かったように思います。

母や彼に携帯で電話しようとしてもつながらず、ネットは携帯から繋がったけどメールやメッセは送れず、誰とも連絡が出来なくて不安になってきました。

このまま電車が止まったまま結局1時間半過ぎ、武蔵野線の線路を歩いて、一番近い駅まで歩きました。たまたまその駅がアパートがある最寄り駅なので、このまま家に戻ることが出来ました。

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もしそれより手前で停まったままだったら、駅で野宿してたかも…。

その時のことはブログにも書きました。

当時の記事を読み返してみると、とにかく自分は無事というのを伝えようと思ってました。それなので今みたいに見出しもなしで、流れのように書いていたように思います。

2011年3月11日。 武蔵野線車内で地震にあい、1時間半以上車内にいたのち、1キロくらい歩いて新秋津駅に着きました。 昼間なのに暗い…。

関 美奈子さんの投稿 2011年3月10日木曜日

Facebookの投稿。新秋津駅、16時半過ぎなのに駅が暗かった…。

震災があった翌日と翌々日、佐野元春さんがデビュー30周年記念ライブが東京国際フォーラムで開催される予定でした。しかし、帰宅難民が出て、東京でも被害が大きかったため、延期になってしまいました。

ライブが延期になって元春は、急遽一遍の詩を送りました。

「それを「希望」と名づけよう」というタイトル。津波が発生し、原発事故が起きて、今後どうなるかわからない中、それでも「希望」を見出そうとしているのを感じました。

東京でも余震が続く中で、いくつかブログに記事に書きました。

避難生活が長引く中、モノが少なくなっている状態で、分け合えることを教えてもらったポスター。
コロナ禍の今でも通用するように思います。

震災から10日後に書きました。時々参加していた「お題」をタイトルに書いたものです。

プロ野球も開幕が遅れることになりました。

震災から2ヶ月後に書いた記事。

この頃は、記録を残そうと思いを書いていたように思います。

震災を覚えて…

それ以来、震災を覚えてブログを書いてました。

あれから10年も、この先10年も…。

毎年、阪神淡路大震災が起こった1月17日も記事を書くようにしています。

その時に思い浮かべる歌が、渡辺美里さんの「10Years」。

MISATO V20 スタジアム伝説 ~最終章~ NO SIDE。大江千里さんがピアノで参加してる!

美里さんが作詞、大江千里さんが作曲した「10years」はサビでこう歌われてます。

あれから10年も、この先10年も…。

「10年」というと、どうしても「10年一区切り」と言われがちだけど、今日一日、TVやラジオやネットなどを見て思ったのは、決して「10年一区切り」ではないということだと思います。

美里さんの「10years」、最後にはこう歌われています。

大切なものは何か、今も見つけられないよ

まだ復興が進んでいないところもある。復興が進んでいるところも、人とのつながりが途絶えてしまっているところもある。昨年からの新型コロナウイルスの影響で、東北に行きたくても行けないという思いもある。

今も見つけられないかもしれないけど、見つけ続けていきたいです。

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これからも祈りを覚えて

3.11を思い、私に出来ることはなんだろう。改めて考えてみました。

一つはYahooサイトで行われている支援。

Yahooで毎年この日に開設される「3.11」の検索窓。今年も微力ながら支援してみました。

もう一つは祈り。

おはようございます。2013年70日目。 また新しい朝が訪れました。 こうして、朝を迎えられる事が当たり前の事ではなく、大切な事だと、ここ数年感じるようになりました。 私が通っている教会では、14時46分になったら、教会の鐘を鳴らし、共に…

関 美奈子さんの投稿 2013年3月10日日曜日

私が通っている教会では毎年この日の14時46分に祈りを込めて教会の鐘を鳴らしてます。

震災翌年の2012年は日曜日で、聖歌隊の練習をしていた時間帯に一旦練習を止めて、鐘を鳴らして祈りを覚えました。それ以来、この日は礼拝堂を開放し、祈りの場とするようになりました。
昨年、今年はコロナの影響で礼拝堂に入れませんでしたが、鐘を鳴らして祈りの時間を持ちました。

10年一区切りとは思わず、これからも東北に向かい合いたい

私自身は、震災前も、震災後も訪れていました。

震災の年に行った時は、まだ女川が瓦礫が多くて住める状態でなかったのがショックでした。石巻も石ノ森章太郎漫画館が大変な被害になっていたのも寂しかった。

しかし復旧作業が進み、次に訪れたときには駅舎が新しくなっていました。

10年経った今。かさ上げ工事が進めたたけど、更地が広がっていたり、人が戻ってなかったりと、切ない気持ちになってしまいます。

まだまだ震災は終わってないんだ…。10年一区切りと言われがちだけど、一区切りではなく、まだまだ続くものなんだという事に気付かされました。

「大切なものは何か、今も見つけられないよ」

10年経った今、「大切なもの」を改めて見つけてみようと思います。

【思い】心を一つに “一心” 今日はあの日の出来事に思いを馳せる一日でした。 14時46分になった時は仕事しつつ、祈りをしていたのですが、いろんな事が思い浮かび、ズキンときました。 写真は、一昨年11月、仙台に行ってきた時に訪れた居酒屋…

関 美奈子さんの投稿 2013年3月11日月曜日

いつか東北に行く機会が出来たら、思い切り楽しみたいですね。「一心」にも行きたいなぁ。

この記事を書いた人

Minako 'NEPPIE' Seki

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