「記録」と「記憶」に残る炎のストッパー、津田恒実。野球殿堂入り【野球】

あれから19年かぁ…。

2012年1月13日に報じられた野球殿堂入りのニュース。

広島東洋カープのエース投手だった北別府学氏と、「炎のストッパー」として名を馳せた故・津田恒美氏がプレーヤー部門として受賞しました。

津田恒美投手は現役時代の力強いピッチングをリアルタイムで見ていたので、まさか病気にかかって32歳で亡くなってしまうとは思ってもみませんでした。

短い現役生活だったけど、カープファンだけでなく野球ファンにとって多くの記憶を残してくれたことが、野球殿堂入りになったのではと思います。

2012年の野球殿堂入りについて振り返ってみます。

2012年の野球殿堂入り

まずは当時のニュース記事で振り返ってみます。

急逝から19年津田恒実さんが野球殿堂入り
「炎のストッパー」が殿堂入りした。球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが13日、野球体育博物館で発表され、競技者表彰のプレーヤー部門で、脳腫瘍のため93年に32歳の若さで他界した故津田恒実氏が選ばれた。広島の抑え投手として活躍した津田氏は、闘志あふれる投球でファンを魅了した。津田氏のチームメートで、通算213勝を挙げた北別府学氏(54)も同時に選出された。津田氏の19度目の命日にあたる7月20日の球宴第1戦(京セラドーム大阪)の試合前、表彰式が行われる。

津田恒実さん:野球殿堂入り 息子「光栄だけど少し複雑」
150キロを超える豪速球で真っ向勝負を挑む投球で「炎のストッパー」と呼ばれたプロ野球・広島の元投手、故津田恒実さん(1993年に脳腫瘍のため32歳で死去)が13日、野球殿堂入りした。プロ生活10年で燃え尽きた悲運の投手にもたらされた、野球人最大の栄誉。一人息子の大毅さん(23)=さいたま市在住=は、深い感慨に浸った。

印象に残ってる80年代の広島東洋カープ

私がドラゴンズファンになったのが80年代。この頃、印象が強いのが広島カープでした。山本浩、衣笠といった二枚看板の打線と盤石の投手陣で優勝した時の強さはさすがでした。一方でドラゴンズとはチームカラーが近い印象を持っていたのも個人的に感じてました。星野、山本浩と大学時代の同学年が同じ時期に監督就任し対決したのも印象的でした。

80年代当時、カープでエースとして活躍し、数々のタイトルを獲得し、通算213勝あげた北別府氏と、カープの投手陣を後ろから支え、「炎のストッパー」として抑えとして活躍しながらも、病魔で32歳の若さで死去した津田氏の受賞を知った時、記憶が80年代に蘇ったような気がして、感慨深いものになりました。

特に、津田氏の受賞については、後生に「津田恒実」がいた事を伝える意味でも大きなものに思えます。

病気の為に引退を余儀なくされた為、通算成績49勝41敗90セーブと突出した成績は残せなかったけど、記憶に残る投手として、今でも語り次がれています。現役時代の度重なる故障からの復活、ストッパーとしての闘争心溢れた投球、そして病気との闘い…。

津田が亡くなった事を知らせた日は、ちょうどオールスターゲームが開催される試合前だった事を聞くと、多くのプロ野球ファンが集まる、またはTVやラジオで試合を楽しもうとするファンたちに「津田恒実」というピッチャーがいた事を知らせるために、津田自身がこの日を選んだんだろうなとも感じてしまいます。(津田投手夫人の晃代さんが書いた本でも書いてました)

また、津田氏と一緒に北別府氏が選ばれたのも大きな意味を感じます。

北別府氏は「横に津田がいてくれたらもっと嬉しかった…」と早すぎる死を惜しんでました。印象に残った試合は、1986年のリーグ優勝を決めた試合とのこと。カープが5点リードし、北別府がスワローズ打線を3失点で抑えて、最後は津田に繋げました。津田は最初で最後の胴上げ投手になった試合になりました。

北別府氏も殿堂「津田いたらもっと…」
通算213勝を挙げて殿堂入りした北別府学氏(54)は、津田氏との同時選出を喜んだ。また、特別表彰では、学生野球の発展に貢献した故長船騏郎氏と、バットの安全性を高める研究に従事した故大本修氏が選ばれ、殿堂入りは計177人となった。
広島全盛期を支えた北別府氏は都内の野球殿堂ホールで行われた記者発表に出席し、亡き“弟”に思いをはせた。津田氏との殿堂入りを喜び、その津田氏が隣にいないことの無念を口にした。
「僕より若い津田が、ここに来ていたらもっとうれしかった。スカウトも同じで、弟みたいな付き合いをしていた。200勝したけど、たくさん助けられた投手。今日、元気でいれば祝杯をあげたと思います」

NEPPIE
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北別府学さんは白血病で治療中。回復を願うばかりです。

表彰式を見て

授賞式では北別府氏、津田夫人の晃代さん、息子の大毅さんが出席。また北別府氏と共に当時のカープを指揮した古葉竹識氏(東京国際大監督)、山本浩二氏も出席。

大毅さんも大学時代に古葉監督に指導し、親子二代で教わる事になったのも不思議な縁を感じます。津田が病魔に襲われた91年、監督だった山本氏は「ツネの為に頑張ろう」とチームが一丸となった事で、カープ優勝に繋がったんですよね(その時の2位がドラゴンズでした。もう少しで優勝に手が届く所だったのに…と残念だったのを覚えています)。

野球殿堂入りについては、阪急で三冠王を獲得し優勝に貢献したブーマー氏が次点だったなど、いろいろと思うところがるのですが、それでも津田、北別府両氏の受賞は、多くの野球ファンに記憶に残す意味で大きいものだと思います。

オールスターゲームで行われる授賞式。多くの野球ファンの前で受賞を受けた時、きっと津田さんは天国から照れている姿を想像出来そうです。

さて、自主トレも真っ盛りのプロ野球、キャンプインまであと半月近く。
シーズンインが楽しみになりそうです。

この記事を書いた人

Minako 'NEPPIE' Seki

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