【野球】2014年、野球殿堂入りを果たしたのは…

今日は休日なので、実家でのんびり過ごしています。
これから所要があって出かけるのですが、その前にブログを更新しています。

週末はスポーツ新聞が家に届くのですが、今朝の一面は…

「野茂氏 殿堂 3人目一発当選」

でした。

八月のトルネード

野茂氏が最年少殿堂入り 3人目一発当選
球界の功労者をたたえる野球殿堂入りが17日、都内の野球殿堂博物館で発表され、日米通算201勝で日米の懸け橋となった野茂英雄氏が史上最年少の45歳4カ月で選出された。選手として五輪出場しての殿堂入りも初。資格1年目ではヴィクトル・スタルヒン氏、王貞治氏に次ぐ3人目の選出となったパイオニアは、兵庫・豊岡市の城崎温泉の旅館で会見し、感謝の思いを口にした。

野茂氏が資格1年目で殿堂入りは最初は驚きでした。
それでも、記事を読み進めていくうちに選ばれたことは必然と思いました。

現役時代の日米での活躍はいろいろなところで書かれていると思うので、ここでは割愛しますが、改めて振り返ると記録にも記憶にも残る名投手だと感じます。

記事を読んでいるなかで、忘れそうになっていた記憶を思い出しました。

1994年オフ、近鉄バファローズとの契約交渉で決裂した野茂投手。任意引退扱いになり、ロサンゼルスドジャースへ入団へとメジャーへの道が開かれたのですが、バッシングが多く、逆境の中でのスタートとなってました。当時日本人投手がメジャーで活躍できるか未知数だったのですが…。

しかし、野茂投手は自らの力でメジャーでも実績を積み上げ、賞賛に変えていきました。
1996年、2000年と2度ノーヒットノーランを達成、日米通算200勝と記録を残したのはもちろんですが、一番の功績はなんといっても、日本人選手がメジャーで挑戦する土壌を作ったことにつきます。

野茂投手が海を渡らなかったら、イチロー、松井、ダルビッシュが海を渡ってなかったかも知れない。マー君のメジャー入りが大詰めを迎える中で決まった殿堂入りは、大きな意味を感じました。会見では日本球界に提言をした野茂氏。日米の架け橋としての役割も大きくなってくるような気がします。

今回、野茂さんが記者会見に応じたのを見て「現役時代は記者と仲良くなかった」と話している位なのが、記者投票で1位という結果というのは感慨深いものを覚えました。

野茂投手の96年のノーヒットノーラン中継が見られます!お時間のある方はぜひ☆

更に、日米で『大魔神(DAIMAJIN)』として抑えのエースとして活躍した佐々木主浩氏、ホークスの秋山幸二監督も殿堂入りを果たしました。

佐々木投手といえば『ハマの大魔神』。1998年のベイスターズでのリーグ優勝、日本一はこの男がいなければ成し得なかったし、抑えでもメジャーで活躍できるという土壌を作った功績も大きいと思います。

ベイスターズ日本一のシーン。盛り上がりがすごすぎー。

秋山選手といえば『バック宙』。1986年日本シリーズ第6戦で同点ホームランを打ち、バック宙してホームインは今でもインパクトが強く残ってます。

NHKの日本シリーズダイジェスト、懐かしい…。広岡氏の解説で西武が自主トレでマット運動を取り入れていたと話していたのが意外でした。

ホークス移籍後も主軸を任され、弱小チームだったホークスを日本一まで持っていった力は大きく、監督でも日本一と実績を重ねた結果が殿堂入りを果たしたのだと思います。

殿堂入り授賞式は今年のオールスターゲームで行うとのこと。
同時期に活躍が重なってる3人が揃い踏みするのを見てみたいと思うのは私だけではないと思います。

今回の殿堂入りがプロ野球界にとって大きなニュースであり、現役の選手たちに大きな刺激を与えてくれることを願ってやみません。

自主トレも真っ盛りでキャンプインまであと10数日。
ユニフォームを着た選手たちの姿が見られるのを楽しみにしたいと思います(^^)

この記事を書いた人

Minako 'NEPPIE' Seki

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